ヨドバシカメラで見つけた「鼓動」
今から13年前の2013年。当時の私は、友人と連れ立ってよくヨドバシカメラへ出かけていました。目的地は決まってカメラコーナーです。カメラ歴25年を数える私にとって、そこは日常を豊かにしてくれる機材が並ぶ、最も居心地の良い場所でした。一方で、カメラコーナーのすぐ隣にある腕時計コーナーには、当時は全くと言っていいほど興味がありませんでした。友人が熱心に時計を眺めている間も、私は一人カメラのレンズやボディを品定めしていたものです。
しかしある時、友人が店員に出してもらっていた一本の腕時計を、何気なく一緒に見せてもらったことがありました。友人が見せてくれたのは、その時計の裏側でした。

シースルーバック越しに、テンプがまるで心臓が鼓動するように、規則正しく、しかし力強く動いているサマが目に飛び込んできました。
「この時計は、生きている!」
電池という電気エネルギーではなく、ゼンマイが解ける力だけで時を刻み続けるアナログな仕組み。その精密な動きを目の当たりにした瞬間、私の中にあった「時計」という概念が、単なる道具から「魂の宿る機械」へと変わったのです。
高嶺の花と、現実的な解
その日から、私の腕時計への関心は急速に高まりました。しかし、いざ調べてみると、友人が見ていたような本格的な機械式時計の多くは、非常に高価な「高嶺の花」であることが分かりました。
初心者が気軽にその「鼓動」を所有するには、あまりにもハードルが高い。そう感じていた中で、ようやく巡り合ったのが「SEIKO 5(セイコーファイブ)」でした。

安価でありながら、信頼のセイコー製であり、何より私が魅了された機械式の仕組みをしっかりと備えている。この時計こそが、私の長い旅の第一歩となりました。
ゼンマイの鼓動と、向き合う時間
手元に届いたSEIKO 5は、決して豪華な作りではありません。しかし、深い青色の文字盤や、光の当たり方で表情を変えるインデックスは、価格以上の満足感を与えてくれました。

耳を当てると聞こえるチクチクという鼓動や、腕の動きに合わせてローターが回る感触は、それまで使っていた時計にはない「道具としての面白さ」を存分に教えてくれました。
時刻が少しずつズレていくことも、当時はまだ手間とは感じず、むしろその時計に触れるきっかけとして楽しんでいたように思います。
父への譲渡、そして次のステップへ
その後、私の腕時計への関心はさらに深まり、次なる機材へと目線が移っていきました。そのタイミングで、私はこのSEIKO 5を父に譲ることにしました。
私自身が新しいステージへ進む一方で、この時計が持つ「機械としての温かみ」は、父の手元でまた別の時を刻んでいくのがふさわしいと感じたからです。
結び:長い旅の第一歩
今振り返れば、このSEIKO 5こそが、紆余曲折を経て今の私が辿り着いた「一つの答え」へと続く、長い旅の第一歩でした。
この時計を通じて「自分にとって心地よい道具とは何か」を問い始めたことが、現在の私の価値観を形成する重要なピースになったことは間違いありません。
こうして始まった私の腕時計遍歴。しかし、SEIKO 5で満足していた私の前に、ある日「プアマンズ・グランドセイコー」と呼ばれる、一つの完成された時計が現れます。
次回、【SARB033編:10年経っても色褪せない、セイコーの傑作】へ続きます。



コメント